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『こんな私でも開業しました』とりあえずやってみよう!以外に簡単に出来ちゃう自営業
彼女が父親に連れ帰らされて、また私の元へ帰って来てから少し経ち、ある日彼女から、子供産む時は彼女の地元の方で産ませて欲しいと、彼女の両親からの要望がありましたと言われ、彼女の地元の愛媛県、の隣の香川県に良い病院があるとの事で、香川の善通寺という町の病院で出産する事になりました。
無事出産しました。帝王切開での出産になり、ヒヤヒヤしたりしましたが。
私は当時車を持っておらず、必要になるだろうと車を買い、その車で出産時に東京から香川県の病院まで走りました。
その途中で、私に弟がおりまして、その弟が当時、兵庫県の尼崎に住んで居たので、香川方面に向かいながら弟に電話をして、『今から香川行くから!たっちゃん(弟)拾っていくわ!』
弟『えっ??』
と、そのまま私は尼崎の弟のアパートへ行き、ビックリしている弟を車に乗せそのまま香川県へ
東京から、12,13時間くらいだったかな~?香川の病院に着き、産まれたばかりの我が子に触れる事が出来ました。早産だった為、透明な箱みたいなのに入ってて、私の名前にベビーと付いた札の箱の中に
小さな穴から我が子『長男』の小さな手をふれる事が出来ました。とっても小さかったでした。感動は半端なく大きかったです。
そこに、彼女方の両親も来ており、軽く話しを交わして彼女の両親達は帰っていきました。
そこで私と弟で、『さあ、もうこんな時間、こんな時間に泊まれる所有るのかな~?どうしようかな~?でもさ~、人に地元で産ませてくれって頼んどいて、俺、東京から来てて、何かないんかな~?全然知らん土地で夜も遅い時間なのに、、、』
などと弟と少し愚痴りながら、携帯のナビなどネットなどで、近くの泊まれるとこを探しました。三軒目くらいの電話で『大丈夫ですよ』と、
とても静かな町の商店街の中の民宿でした。もうご飯は食べれなかったけどお風呂は入れました。民宿の女将さん『お風呂は貸し切りですよ』と言われ、『いいね~』などといいながら先にお風呂場へ
開けた瞬間、弟と二人で笑っちゃいました
『せまっ』
浴槽は弟と二人で浸かったら、ピッタリ肩がくっついて
そんなこんなで、また東京に戻って彼女が帰って来るまでまた一人の彼女の帰りを待つ生活に戻り、無事、彼女も元気に赤ちゃん抱いて戻ってきてくれました。
赤ちゃんって、どうしてこんなに可愛いんでしょうね、どことなく自分に似てるとことか、
現在はもうだいぶ大きくなってしまいましたが、それでも可愛いままですけど(笑)
それから何事もなかったように、彼女と楽しい日々を過ごしていました。
数日が経ち、彼女の父親から一本の電話が
彼女『むっちゃん(私)お父さんから』
私『はい』
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『こんな私でも開業しました』とりあえずやってみよう!以外に簡単に出来ちゃう自営業
今現在でもまだまだ子供だなと思える自分ですが、当時はもっともっと短気でワガママで自分勝手で、、、
彼女の妊娠発覚後、彼女の両親に挨拶に行き頭下げてきました。
その時、彼女の親父さんに『うちは、酒もたばこも誰もやらない。たばこはやめてくれ』と
私は、『止めれるよう頑張ります』と、そんな話を交わしてまた東京に彼女と二人で戻り、一緒に暮らす事になり、彼女が私の住んでいるアパートに引っ越すことになりました。
当時働いていた職場の仲間二人が引っ越しを手伝ってくれると、私含めて三人で彼女のアパートに行きました。
部屋に上がると彼女の母親と兄弟(長男、次男)三人が居て、この男二人は布団に寝っ転がっていて、ここで初顔会わせでした。彼女の母親と少し会話してから引っ越し作業を始めました。私と同僚三人で、彼女がまとめた荷物やタンスなど、せっせとせっせと、、、
彼女の兄弟(男二人)はずっと布団に寝っ転がって、私達が行き行き交うのを見てる、、、
『なんなんだ、こいつらは、、、、』
まあ、若いとこんなもんなのかなと思いながら、作業を終わらせ、彼女とのお腹の子との三人の新生活が始まりました。
それから、二、三日後、、、
仕事が終わり家に帰ってくると、彼女が居ない。何処行ったのかな?と電話かけても出ない、その時はなんとも思ってなかった。
夜も更けてきて、やっぱり帰ってこない、連絡もない、電話も出ない、、、
朝まで全然連絡つかず、もう、心配だったのなんのって
何時ぐらいだったかは忘れてしまいましたが、彼女からやっと電話が
彼女『ごめんなさい』
私『どうしたん?何処に居るん??』
彼女『実家です。お父さんに引っ無理矢理無理矢理連れて行かれました。連絡もとれませんでした』
私『???なぜ???』『ん??』
全然理解できない私
彼女『たばこまだ吸うってるでしょ』
私『??うん??』
彼女『たばこ吸わないって約束したのにまだ吸ってるって、連れて行かれました』
私『あ~~!!』
ここでやっと理解できた私
私『吸わない言うてない!止めれるよう頑張ります言うたやろっ!(汗)』
『ちょっと親父と電話変わって』
彼女の父親『はい』
私『なぜ、黙って連れて行くんですか?文句があるなら私に直接言えばいいんじゃないんですか?そもそもタバコ止めるなんて一言も言ってませんよ、『止める努力します』とはいいましたが、これっきり止めますとは言てないし、まだそれから2.3日しか経ってない。それにお腹の中に赤ちゃんが居るの分かってて何してくれよんですか?そんな行ったり来たりさせて何かあったらどう責任とってくれるんですか?娘が可愛いって言うなら、なんでそんな無責任な事するんですか?』
彼女の父親『・・・・・』
と、彼女の父親は何も言わず電話を切り、次の日彼女は私の元へ帰って来ました。
それから何事もなかったように、彼女と楽しい日々を過ごしていました。
数日が経ち、彼女の父親から一本の電話が
彼女『むっちゃん(私)お父さんから』
私『はい』
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『こんな私でも開業しました』とりあえずやってみよう!以外に簡単に出来ちゃう自営業
私、現在、個人事業で運送業を主体に、副業のアルバイトをしながら、一冊の本の中の言葉で『男は複数のポケット(収入源)を持て』の言葉が今更ながら心に届き、今、自分に出来る可能な限りの時間を、『勉強と行動』を心がけてます。
これから話していく『こんな私でも開業しました』とりあえずやってみよう!以外に出来ちゃう自営業は、現在の話ではなく、10年程過去の、はじめて開業した時の話になります。
話は今から10年ほど遡り、東京で生活していて年収も平均500万ほどで、多いとはいえないですが、当時の私は『今を楽しく』という生き方を精一杯満喫していました。今までで一番楽しかったなと思える、今でもまた住みたいなと思ってる場所は関西♫若かったというのもあるかもですが、ホントに楽しい20代でした
だいぶ話が脱線してしまいましたが、また、10代20代の頃の話もそのうち書いていきたいと思います。
話を戻して、これからの話の簡単に話の流れを
東京に移住して7年目くらいのころ
出会った女性とお付き合い始めて、間もなく子供を授かり籍を入れ、私の地元、宮崎県に移住して自営業(リフォーム業、サービス業)を開業から閉業。
ぐらいまでを、私の私情、偏見などを挟みながらお話させていただければと思います。
第1部 結婚
当時、結婚した女性と出会う少し前、お付き合いしていた女性がいまして、その子は、クリスチャンでした。
私が働く職場に、沖縄から上京してきて出会いました。そのうちいつも私の側にいるようになり、、、
ただ、『彼女はクリスチャン、実家は教会、お父さんは牧師さん』『もし、一線越えたら結婚しなければいけない』とは聞いていたので、一線を引いてお付き合いしているみたいな感じになってました。
でもそこは、やっぱり男と女。一線越えてしまいました
そして、彼女の行動は早かった。すぐにお父さんに報告、お父さん即、来日!
彼女のお父さん、沖縄から東京まですぐに飛んできました
その時の話で
(彼女のお父さん)『責任をとってください』
(私)『わかりました』
(彼女のお父さん)『では、一年間修行してください』
(私)『わかりました。修行とは??』
(彼女のお父さん)『アナタは、私の親族が静岡県にいて、会社を経営しています。そこで
働きながら教会に通っていただきます。○○(彼女)は、神奈川にいってもらいま
す。神奈川にも同じ会社がありますので、そこで働いてもらいます。』
(私)『えっ?彼女と別々ですか?』
(彼女のお父さん)『そうです。一年間別々に頑張って頂いて教会に通って頂く。それが修
行です。』
(私)『そうですか、、、でも私はそれでも良いですけど、多分、彼女は離れたら無理だと
思いますよ。彼女は若いし、まだ付き合って日にちも浅いですし、別れると思います
よ』
(彼女のお父さん)『○○(彼女)は大丈夫です。信じてください。絶対に大丈夫です。』
(彼女)『うん、大丈夫、別れないです』
(私)『。。。。わかりました。』
こんな感じで、私は静岡県に、彼女は神奈川県に
そして、3ヶ月ぐらい経ったくらいに彼女から連絡来て、『別れましょう』と。
それからすぐ、東京の前いた会社に戻り、また以前と同じような生活が始まりました。
私はその頃、携帯電話で釣りのゲームをしていて、同じメンバーでよく話をしていた子が、たまたまご近所さんだと分かり何度かお会いしてお付き合いが始まり、ホントにすぐ、(彼女)『子供できた』と
これが、元嫁さんとの結婚生活のスタートになります。
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『こんな私でも開業しました』とりあえずやってみよう!以外に簡単に出来ちゃう自営業
私の経験と持論でのお話ではありますが、
現在、あんな事やってみたいな~、こうゆうお仕事してみたいな~
など、『思ってる』。『考えてる』を抱いたまま自分の夢のまま、または、それにむけて必要以上に準備を整えようと、スタートが出来ない、スタートに何年もかかるなあ
というような現状の方に
やりたいことの挑戦に向けての一歩を進む事ができればと
あくまでも、何度も言いますが、私の経験、と持論でのお話になります
世の中、『千差万別』。 裕福な方、手助けしてくれる仲間がおられる方、支援援助してくれる人や、またはそれを受けれる状態の人。『やりたい事』が現在やられてる仕事の独立。
などの人達に向けてではなく、
今、やりたい事はあるけど。貯金もなければ、支援受けれる状態でもない、その経験知識もない、周り誰も知らない、でも、一旗揚げたいな。と思われてるような方に向けての経験談と持論になります。
逆に、今、『現状何もない』状態ではない方達で『やりたいな』『やってみたい』を持ちながら過ごして行かれてる方。は、これから書いていく記事は、お金もなければ、支援援助もなく、引っ越してきたばかりで、まわりに誰も知る人がいない、ひっそりと町の片隅で看板を出した、私の経験談になります。資金力や経験値、自信などある方は、きっと、もっと簡単に上手くスタートして流れに乗せれる事だろうとおもいます。
そして、これは『成功』とは関係ないお話になります
私の経験、体験からどんなことをしたのか、どんな事が大変だったのか。
開業に至る経緯や、開業してからの状態や、最後この話についてどこまで書くかはまだ決めてませんが、その時その時の私の気持ちや悩みを交えながら書いていきます
『こんな私でも開業しました』
で、これを読んで頂けた方が、すこしでも自信を持つ糧となればとおもいます。
むちゅくん。ブログ始めるの巻
こんにちは。
『自動収益化を目指して』で今年からYouTubeデビューいたしました
むちゅくんです!(^^)!
宜しくお願いします(^o^)♫
簡単な自己紹介をさせていただきます。
宮崎県出身
バツイチ独身の45歳です。
実家を16歳で家出
27歳ぐらいまで定職にもつかず、
あるきっかけで、真面目に生きようと27歳で東京へ
結婚を決めた一人の女性との出会いからの奮闘期が始まり
そこからまだ抜け出せない今に至る。
現在、私のYouTube動画のコンセプトとなっている『運動』
地元、宮崎、で『ボクササイズ教室・エフォート』というジムを運営&トレーナー
をさせて頂いてたものを
また、新たな取り組みが出来ればと、動画編集を独学で初めてみました。
まだ、やりたい事が定まらない、と、いうか、やりたい事がまだ沢山あって、自分の中のやりたい事を勉強しながら手探りでもやれたらいいなと
私、ほんと色々不器用で、
現在の運送業の拡大、SNSなどのインターネットを使った収益。
トレーナー業、あと、店舗事業もしたいことがあるのですが、、、
いま、一番の私の欲しいものは、、、
温もりがほしい
求めるものって、手を差し出したものって、何で離れていくんだろう
頑張ろうってすればするほど空回りする
とりあえず今は自分の出来ることを、やれることを頑張る
本業の仕事終わって、アルバイト
帰ってきてご飯たべて洗濯しながら、運動能力低下をなるべく抑える為、軽く自主トレそしてお風呂入って、、、はあ
って、寂しいなって一日が終わる
離婚して、一人になってから一軒家買ってしまって、だから余計に寂しく感じるのかな
この土地も私に合わない
全然友達さえ出来ない
こんなナヨナヨした私ですが、これからブログも頑張っていきますので
よろしくお願いします(^_^;)